過去の新聞を読んで考えてみました—その1

2025年2月7日

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日本軍は人道上の誓約を守り通して、一発の砲弾も打ち込まなかったため、抗日的態度をとるものもなかった。私の永い支那生活中、今度くらい 日本軍が正義の軍であることを痛感したことはありません。食料があと二、三日分しかなく、心配していたところ、松井大将が一万円を寄贈して下され、非常に感謝しているところですという文章を読んだことがきっかけでジャキノ神父について調べてみました。

朝日新聞クロスサーチで『ジャキノ』と横断検索すると29件の縮刷版が検索されました。気になった記事をピックアップし文字起こしをしていきます。

1937年(昭和12年)11月03日 朝日新聞
南市に特別避難区 我方・設置の申出承認という記事がありました。ジャキノ神父は中国人難民救済のために、中国軍と日本軍の双方と交渉し、後日、ジャキノ・ゾーンと呼ばれるようになる難民区を設定しました。

上海フランス居畄民の名士たるカトリック教会のP・ジャキノ教父は南市地区内にある30余万の支那住民のため1大特別避難区域の設定を計画し、日支当局に交渉してはジャキノ教父の計画は真に人類愛の信念に出づるものなるがためと、且つ我が方は無辜の中国人を敵とするに非ざる趣旨を徹底せしむるため、この計画を支持する事に決定し南市区域内において方〇路を南側とし、民国路によって東、北、西三方を取り囲まれたる区域を指定したが我が方のこの誠意ある人道的態度は内外人の絶大なる称賛を博しつつある。取極めによれば同区域の避難民管理のためフランス3、英国1,スェーデン1より成る南市避難民救助国際委員会を設置し同委員会は日本側に対し右地区内に一切の武器携帯者を在住背視座ることを誓い、日本側はこれに対し右地区が純粋に非戦闘性を持続する限りこれを攻撃せざるべきことを約するものである
支那側もすでにこの計画に対し支持を表明し、目下〇〇〇上海市長の正式調印を待つのみとなった。

https://chizujoho.jpn.org/01_chizujoho/30/mi30_1.html

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