『日中戦争はドイツが仕組んだ』の表紙に使われている石像を見に知多半島まで行ってみた

軍人像がある中之院は多くの方がブログを書かれています。
下のリンクの方のページは多くの写真があり、行く前に見ていたら迷うことなく行けた気がしました。
わたしは事前に調べることもなくいって、軍人像を始め見つけられず、山頂まで登って降りてきて村人にどこにあるのか尋ねていました。
それはそれでよい経験となりました(-_-;)。
昭和12年(1937年)の㐧2次上海事変は中国共産党が南京大虐殺と騒ぐ南京事件のきっかけとなった事件です。南京大虐殺と嘘を言う人たちは㐧2次上海事変を語ることはほとんどなく、突然日本軍が襲ってきたように語ります。㐧2次上海事変は蒋介石の主力十個師団余が二十万の兵力を集中し、上海租界にいた日本人10万人と日本軍陸戦隊5千人を全滅させよう企図した事件で、蒋介石軍はドイツ軍将校の指導の下、ドイツの最新武器で日本人を襲ってきました。
近衛首相は「南京政府断固膺懲を声明」し、松井大将を軍司令官に任命しています。
松井大将は愛知県名古屋市出身なので、前線に立った愛知県出身者が多かったのかもしれません。
8月23日に呉淞(ウースン:上海の外湾)に敵前上陸した名古屋を中心とした地域の出身者の㐧3師団は、半月で壊滅します。㐧3師団のある連隊は上陸後200名の隊員がわずか半月で10名になったそうです。
中之院にある軍人像は当初名古屋市千種区の覚王山の霊園の北側に祀られていたそうです。



もう一度いって、3Dモデリングをしてきたいと思っています。
松井大将を調べ,南京大虐殺が嘘であったと確信しました。
上海で30万人の中国人難民救済をしていたカトリックのジャキノ神父の話も知っておくと確信をふかめることでしょう。。