日本文化に隠されたキリストの香り1
事を隠すのは神の誉であり、事を窮めるのは王の誉である
神様は隠す方です。
皇室や神社で行われている伝統行事はなぜそのようなことが行われているのかやっている人々はわからないでやっていることが多いようです。
聖書を読むとなぜそのようなことが行われているのかわかる部分があります。
例えば、諏訪神社で行われている御頭祭
この祭りで行われていた神官たちの劇は、旧約聖書のイサクの燔祭のお話とそっくりです。
旧約聖書 創世記22章2~14節
神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。
3 アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。
4 三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た。
5 そこでアブラハムは若者たちに言った、「あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます」。
6 アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った。
7 やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。
8 アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。こうしてふたりは一緒に行った。
9 彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。
10 そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、
11 主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。
12 み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。
13 この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。
14 それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。
また 新約聖書 使徒行伝 7章14節には
7:14ヨセフは使をやって、父ヤコブと七十五人にのぼる親族一同とを招いた。
と書かれています。
75頭のいけにえはこの時の75人の罪の身代わりと思われます。
いけにえの儀式はイエス様の十字架を予見させるものでしたので
イエス様が十字架にかかったことを知れば必要がなくなります。
さて、日本のお正月には三日間、お屠蘇を飲む文化があります。
お屠蘇は、屠られて蘇ると書きます。
そして赤い漆器で飲みます。
イエス様は何度も
人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる
と語られました。
弟子たちはイエス様が十字架にかけられ、蘇るまでその言葉を理解することはできませんでした。